またまたまたブログを開いたら1年経過の巻。新社会人1年終わり、退職して転職活動という名のニートしてます。1年間超やなことばっかりだったな半分と退職したのはお前の甘えだろ半分。でもたのしくない人生やだもんね、で踏み切った。ずるいな  辞めてからほんと思う  社会人すごい、働くってすごい、皆偉すぎる

かくいうわいは働かない生活の楽しさと焦燥感噛み締めて生きてます  この1年、自分の中の変化についてけなかった  趣味とか友だちと遊ぶのもやになって、自責でどうにかなりそになりながらクソ日々を繰り返して  なんで生きてんだっけ!楽しむためです(デカ声……)って思考になるのに時間がかかったりして辛かった  今は辛いを言えて良かったなと思う 

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大好きだった人と別れた。振り返るとまだ泣いてしまうのでもう少し自分のことを待ってあげようと思う。

久しぶりにブログを見返していたら丁度2年前も同じように別れていたのが少しおかしかった。もう、あれから2年経つんだなと振り返る。

来年度、あと10日程でわたしは社会人になる。大学生が終わる。短すぎると思ったりしたけど、振り返ると長くて重い日常だったなと思う。

社会人になること、本当にこわくて毎日漠然とした不安があるけど、毎日を送ってけるようになろうね、適当にがんばっていこうね。

私は昔より確実に自分の首を絞めるように、自己肯定感が低くなった。人のことを妬むようになったと思うし、自分のことも同時に許せなくなった。多分過去の自分のことも妬んでる。どうしたらいいのか分からなくなっていて、時々大泣きしてしまう。そのうち、友だちにも八つ当たりしてしまいそうで怖い。気づかない内にしているかもしれない。本当に怖い、嫌だ。

でも、こんな風に思うようになった理由が分からない。どうしたらいいのか、考えても出てこない。

昔みたいに、綺麗事ばかり望んで生きていたい。自分のことを大好きな私でいたかった。最近は昔みたいに、という望みばかりだ。

踏ん張って雑草みたいな生命力で生きていきたい。

9.26

 

最近は実習中なのについつい映画を観にいってる  昨日も課題も終わらせずに、好きな服見て店員さんと長話して、summer of 85を観た  

君の話じゃない、と始まる物語  自分の理想で相手を測っていた所、浮気(?)されたとき古い靴下のように扱われたと言っていた所、哀しさの表現が良かった

人は自分の価値観でしか相手のことを見れない、と改めて思った  良くも悪くも

 

 

5.31

言葉の重み、はどこからくるのかずっと考えている  わたしの尊敬している方が発する言葉や文章はその人自身の重みを纏っている  語彙力だとか、文章力とかではなく、その人だからこその重みがありそれがわたしを惹き付けるのだと思う  わたしもそんな人になりたい、とずっと思ってきた  でも、その人の発する言葉を真似して出してみようとしても、わたしが表現すると薄くなってしまう  上っ面だけの言葉になってしまうのが嫌だ  わたしの憧れるあの人は何を考え、どんな風に表現しようとしているのだろう  きっとあの人はぐるぐると考えて考えて、その中で言葉の方が惹かれていくようになっているのだろうな、と思う  わたしも上辺だけでなく、自分を表現できるような考え方を身に付けたい  

5.23

わたしは愛されていなかった

と思うと同時に

わたしを愛せなかった  とも思った

愛されなかったと受け取ってしまうわたしはわたし自身を結局大切にできていなかった

でも、友だちでも恋人でもひとに愛されていたい、と図々しくも考えてしまう  自分ができないことをひとに押し付けようとしているわたしは傲慢だ

自分を卑下するようでいて、自分のことが1番大切なのだ それを認めて生きていきたいと思えるようになりたいけれど、わたしの傲慢さがそれを許してくれない  

だから最近、ひとを羨むこととか、比べることが増えた   そんな嫉妬心ばかりのわたしを更に嫌いになってしまって、思考がループする